









「土佐じゃ よさこい おらんく祭りよ」
沿道でいきなりマイクを向けた観客も笑顔で歌った。
1999年第46回よさこい祭り前夜祭会場の中央公園舞台に彗星のごとく現れ、
観客の度肝を抜いた。見たことの無いチーム演舞にあっけにとられた。
他のどのチームとも一線を画し特異性が際立った。
野瀬さんが生歌で華麗に歌い上げる。曲調は歌謡曲でこぶしが入り力強い。
踊り子さんは楽しみ、生歌に合わせて踊る。
そして観客の皆さんは聴き惚れる方が入れば、笑顔で大喜びする方もいる。
そのようなチームはよさこい祭り史上、後先探してもあっただろうか。
そのチーム名は「なんぼゆうたちユニオンジャック」。
「なんぼゆうたち」とは土佐弁で、「いくら何でも」とか「うそー⁈(感嘆)」を意味する。
初参加チームが前夜祭を踊ることは先ずないことだが、空き枠の抽選を引当てた。
前年度入賞したチームが揃う前夜祭で、チーム名の如く「なんぼゆうたちユニオンジャック」を印象づけた。
「滑稽なことを真面目に取り組もう!」のコンセプトでチーム作りをしていたという。
2004年第51回よさこい祭りでは2人の赤褌が担ぐ駕籠の中から野瀬さんが登場して笑いを誘った。
そして歌いながら実際に采配を揮った。その度に観客の注目を集めて笑顔と歓声に変えた。
いつも絶妙な思いつきのアイディアが浮かび、スタッフ皆で手作りして準備した。
レッカー車で地方車を作ったとき、前方に出た鉄の突起を隠すために、おおきい唐草模様の布を買って来て新聞紙を包み込み、でかい袋にして赤い布紐で縛りぶら下げた。見る人からは「あれは何だ?」と話題を呼んだ。野瀬さんにすれば「高知の思い出をいっぱい詰め込んでの土産袋」をイメージしてほしかったそうだ。
駕籠、土産風呂敷にせよ、資金不足から致し方なく生まれた発想に他ならなかったが、「よさこいおらんく祭り」「よさこい七変化」「よさこい夢祭り」「土佐、風の祭り歌」「マンボdeよさこい」「よさこいかぶれ」「よさこいふるさと祭り」「よさこいcha-cha-cha」「よさこいブギウギ」「ありがとう夏」「鳴子舞」と、野瀬さんは12年連続出場で11曲の歌を作り、毎年ダンス曲として自作の演歌を組み入れた。
毎年祭り中に起きるハプニングや参加者や観客の皆さんたちの言動がヒントとなり、題材には事欠かなかったらしい。
その1つとして、面識もなかった県外チームの代表者からビデオテープが届いた。
見てビックリ!野瀬さんの歌声入った楽曲を流し、野瀬さんのキャラとなっていた采配も揮い、それもやたら長い紐を振り回しながら、その代表者がチームを率いて沿道を練り踊っていた。
これを見た野瀬さんは「この方はいったい?」と、無断での楽曲の使用やチームキャラとしてとる采配をも責める気さえなく、とにかく呆気にとられて笑うしかなかったそうだ。
尚、この「よさこいかぶれ」さんは、翌年には埼玉から地方車を提供してくれて、本番当日に将にその年の楽曲「よさこいかぶれ」を歌いながら踊ったとか。
2010年第57回よさこい祭りを最後に、1ダースまでと決めており潔く幕を閉じた。
野瀬さんは「人に恵まれた」という。
チーム結成の経緯はお店のお客さんからの熱い希望に応える形だったようだ。
当時の無国籍の踊り子さん、日銀高知支店の方々、そして店の常連さんだった方々の熱い情熱が発端となり立ち上げることができて、その後も年をおうごとに色んな方たちの協力と支えによって、なんとか12年間続けられたそうです。
先の駕籠を担いでくれた方々は、肩に水ぶくれが出来き痛々しいほどになったが、赤褌を締められたことの喜びの方が大きいと笑ってくれた。
あちこち走り回ることで負担がかかっていた地方車の運転手に労いの言葉をかけた時、むしろ誇らしかったと言われた。お客さんの熱い視線が先頭を走る地方車に向けられていたそうだ。
野瀬さんのお店 UNION JACKには当時観客だった方が今でも定期的に訪ねてくるそうです。
そしてご本人は今は歌を教えており、当時教わった「昭和の心」を伝えているといいます。
カラオケDAMに「土佐・風の祭り歌」とか「よさこいおらんく祭り」が入っているので是非歌って欲しい。
★野瀬さんの店舗★
UNION JACK
〒780-0842 高知県高知市追手筋1丁目8−21

★オススメするスポット・グルメ★
<居酒屋>
・お箸の国
〒780-0842 高知県高知市追手筋1丁目1−4
<観光スポットなど>
・土佐和紙工芸村くらうど ※良く行かれるスポットです
〒781-2136 高知県吾川郡いの町鹿敷1226
・吾北むささび温泉
〒781-2321 高知県吾川郡いの町小川東津賀才53−1
・安居渓谷 ※仁淀ブルー堪能できるスポット
〒781-1628 高知県吾川郡仁淀川町大屋1627−4